創価学会の「不思議な力」と初期仏教の「縁起」:矛盾?それとも…?
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創価学会に関して次の投稿があります。
「創価の方たちがよく言う、不思議なことに…それは不思議な力を認めていることになる。縁起、因縁を否定しているのだな、なのに縁起、因縁を語る矛盾…『題目がすごい』もまた不思議な力を認めているのだ…つまり仏教ではない…違う宗教と言うことなのだな。」
これは、初期仏教のどういう教えについて述べ、日蓮の教えとどう違うと述べていますか?
投稿で指摘されている点は、初期仏教の「縁起」の教えと、日蓮の教えにおける「題目」の捉え方の違いに関わっています。以下、詳しく解説します。
初期仏教の「縁起」の教え
初期仏教において「縁起」は、すべての現象は原因と条件(縁)によって生起し、独立して存在するものは何もないという根本的な教えです。簡単に言えば、「すべては関係性の中で存在する」ということです。
- 因果の法則: 何か結果(果)が生じるためには、必ず原因(因)があり、さらにその原因を助ける条件(縁)が必要となります。
- 相互依存性: あらゆる現象は互いに依存し合っており、単独で存在するものは何一つありません。
この「縁起」の教えは、神秘的な力や超自然的な存在を否定し、合理的な因果関係に基づいて世界を理解しようとするものです。
日蓮の教えと「題目」
日蓮は、法華経を根本経典とし、「南無妙法蓮華経」の題目(題目)を唱えることを重要な修行としました。この題目には、以下のような意味合いがあります。
- 法華経の功徳: 題目を唱えることで、法華経に説かれる仏の智慧や功徳を自身に具現化すると考えます。
- 仏界の顕現: 人間の生命には本来、仏の生命(仏界)が具わっていると説き、題目を唱えることでその仏界を顕現させると考えます。
投稿で指摘されている「不思議なこと」「題目がすごい」というのは、この題目を唱えることによって様々な良い結果が現れることを指していると思われます。
初期仏教と日蓮の教えの違い
投稿の指摘を踏まえて、初期仏教と日蓮の教えの違いをまとめると以下のようになります。
観点 | 初期仏教 | 日蓮の教え |
---|---|---|
世界観 | 縁起に基づく因果関係を重視し、神秘的な力を否定 | 題目を唱えることで功徳や仏界の顕現を重視 |
修行方法 | 八正道などの実践 | 題目を唱えること |
現象の説明 | 因果関係によって説明 | 題目を唱えることによる功徳や仏界の顕現で説明 |
投稿者は、日蓮の教えにおける「題目」の捉え方が、初期仏教の「縁起」の教えと矛盾するように見えると指摘していると言えます。
つまり、初期仏教ではあらゆる現象は因果関係によって説明されるのに対し、日蓮の教えでは題目を唱えることによって良い結果が現れると説明されるため、「題目がすごい」という考え方は神秘的な力を認めているように見える、ということです。
補足
創価学会は日蓮の教えを基盤としていますが、その解釈や実践においては独自の発展が見られます。
そのため、創価学会の説明と日蓮の原典の教えとの間に解釈の違いが生じる場合もあります。