創価学会の己義や我見を悪いと教えることのデメリット

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己義や我見は悪いのか?

日蓮仏法では、己義や我見という言葉が悪い意味で出てきます。

学会の組織活動においても、我見で判断してはいけないといった 指導がよくあります。

この場合、我見とは、仏教の教えと違った自分勝手な考え方という意味が本来の意味です。

しかし よくあるのは、学会の打ち出しに素直に従わない場合に、この言い方がされる。

学会本部の打ち出しと違うことを考えていたりした場合、自分勝手な考えだ という意味で使われます。

つまり 学会本部の打ち出しに従順になりなさい という意味で使われる。

もっと言うと、自分で考えることは良くないという意味で使われる。

このように、人を組織に隷属化させるように使われるのです。

学会員の多くは、ある考えが生じた時に、それは学会本部の考えと合致しているかどうかを確認するという習慣がついています。

つまり 学会本部の考えが 、仏法の根本であり、大聖人の教えであるという風に捉えています。

ゆえに いつまでも、自分のアイディアで自由に行動するという機会が無く、学会組織のために働き続けるということが繰り返されるのです。

これは、宗教が人を縛り付けている状態にほかなりません。