「関係念慮」と診断された!創価学会の祈りで全てを御本尊に関係づける危険性

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「世の中の起こることは全て自分の心の反映だ」という考え方があります。
これはどういう意味でしょうか?
そして、この考え方にはどんなメリットやデメリットがあるでしょうか?
今回はこのテーマについて考察してみたいと思います。
ポイント
祈りと成果は、実は無関係。
最初は、祈りが原因で成果が上がったと感じる人がいるが、続けていると無関係だと分かってくる。
非科学的な教えに注意

テレビに出てくるようなことで自分に関係のないことが、自分の祈りがかなったと言うと、精神科で関係念慮と言われるかもしれません。
関係念慮とは、以下のような意味になります。
関係念慮とは、なんでもない偶然の出来事について間違った解釈をし、人に対して普通でない意味づけをすること
ハートクリニック (e-heartclinic.com)
日常の出来事が自分にとって個人的な特別な意味をもつ,あるいは自分個人に向けられた特別な意味や重要性をもっていると思い込むこと
The Trusted Provider of Medical Information since 1899 (msdmanuals.com)
- 創価学会で指導される「世界は自分の心の反映」という考え方
- 相手や環境が変わったり良くなったりすることは自分の祈りが叶ったからだと捉える
- 自分自身や他者への感謝や喜びを増やす効果がある
- 「世界は自分の心の反映」という考え方に隠された危険性
- 環境は実際には自分に関係なく動いており、因果関係を勘違いする可能性がある
- 自分以外の要因を無視したり責任逃れしたりする傾向が強まる恐れがある
- 環境で起こったことを自分自身や他者へ向けて不満や恨みに変えてしまう危険性がある
【分析】
- 「世界は自分の心の反映」という考え方は一面的な真理であり、過信することは危険だ
- 自分自身や他者へ感謝する気持ちは大切だが、それだけでは不十分であり、現実的な対処法も必要だ
- 自己責任や他責から抜け出すために、「関係念慮」という観点から物事を見直す必要がある
「関係念慮」に苦しんだ理由

学会指導では、世の中の起こることは全て自分の心の反映だと捉える。
相手の行動が変わったのは、自分の祈りが叶ったからだとか。
天気が晴れたのは、自分の祈りが叶ったからだとか。
これは、環境と自分の心を繋げたものだ。
実際は環境というのは自分に関係なく、独立で動いている。
環境で起こったことは、自分の心と関係あるんじゃないかと思うようになることが、関係念慮になる。
祈りと成果は、実は無関係。
最初は、祈りが原因で成果が上がったと感じる人がいるが、続けていると無関係だと分かってくる。
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「祈りがかなった」と思うのは良くないこと?

「関係念慮」とは、本来自分に関係のないことが関係あると思えたり、することです。例えば、他人の会話や行動を自分に向けられたものだと勘違いしたり、自分が特別な存在だと思い込んだりすることです。
「祈りがかなった」と思うのは、「関係念慮」になる可能性があります。祈ったことと実際に起きたことに因果関係がない場合、それを自分の力だと信じるのは現実から逸脱した考え方です。
しかし、「祈りがかなった」と思うことは必ずしも悪いことではありません。祈りは心の安らぎや希望を与えてくれる効果があります。また、祈ったことが偶然にも実現した場合、それを喜ぶのは自然な感情です。
重要なのは、自分の思考や感情に気づき、客観的に判断する能力を持つことです。もし、「関係念慮」によって苦しんでいる場合は、専門家に相談することをお勧めします。
御本尊への祈りのデメリット

【質問】
関係念慮というのは関係付けだと思いますが、創価学会の御本尊に対する祈りは、世の中のことを全て御本尊に関係づける悪い効果もあると感じます。どう思いますか?
創価学会の御本尊に対する祈りは、世の中のことを全て御本尊に関係づける傾向があります。これは、御本尊が「宇宙の法則」であり、「すべての生命の根源」であると信じられていること、そして、御本尊を信仰することで、あらゆる願いが叶うと信じられていることによると考えられます。
このような関係付けは、良い効果も悪い効果ももたらす可能性があります。良い効果としては、困難や苦難に直面したときに、御本尊に祈ることで、前向きな気持ちを取り戻し、困難を乗り越える力を得ることができるということがあります。また、御本尊を信仰することで、自己肯定感や他者への慈悲心を高めることができるということもあります。
一方で、悪い効果としては、御本尊に祈っても願いが叶わないときに、自分自身や他者を責めてしまうということがあります。また、御本尊を信仰することで、現実の世界から目を背けてしまうということもあります。
特に、世の中のことを全て御本尊に関係づけてしまうと、自分の行動や結果を御本尊のせいにする傾向が強まります。これは、御本尊を信仰することで、自分の力で物事を成し遂げるという意識が薄れてしまうためです。
そのため、創価学会の御本尊に対する祈りは、良い効果も悪い効果ももたらす可能性があることを理解した上で、祈りを行うことが大切です。
以下に、御本尊に対する祈りによる悪い効果を防ぐための方法をいくつか挙げます。
- 御本尊を信仰することで、自分の力で物事を成し遂げるという意識を持ち続けること。
- 御本尊に祈っても願いが叶わないときには、自分の努力不足や運の悪さなど、他の原因を探ること。
- 御本尊を信仰することで、現実の世界から目を背けないようにすること。
また、創価学会以外の宗教や哲学についても学んでみることで、御本尊に対する考え方や捉え方を多角的に理解することができるでしょう。
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